中津祇園は、10万石の城下町中津を代表する祭で、疫病退散と無病息災の祈願を目的に、毎年7月20日過ぎの金曜日から日曜日の3日間行われます。明治時代の頃から、中津神社の祭礼(上祇園)に対して、闇無濱の祇園八坂神社の祭礼を下祇園と称するようになりました。
今から約600年前の永享2年(1430年)に、丸尾某の霊夢によって豊日別宮(現在の闇無濱神社)および祭礼を再興し、下正路浦の漁民が祇園の御分霊を京都の八坂神社から改めて勧請し、下正路浦の漁師の村祭としてのささやかな祭が行われたことが、中津祇園(下祇園)の記録として残っている最も古い記述です。
なお、現在のような漆塗りの「祇園車」(ぎおんぐるま)と呼ばれる曳車が出されるようになったのは、約340年前の天和3年(1683年)です。
「チキチンコンコン」の囃子とともに、芸能奉納のための舞台付き曳車を大人数で曳き回す形態は、江戸時代の大坂三郷地域で多数見られた地車(だんじり)に多くの共通点が見られることから、「祇園車」は江戸時代に経済的な交流のあった関西圏域から瀬戸内海を通じて伝播してきたとする説が有力となっています。
その賑やかさから、昭和初期までは九州三大祇園祭(博多祇園山笠・行橋今井祇園)と称され、今日では大分県三大祇園祭(日田祇園・臼杵祇園)の一つとされています。