闇無濱神社は、明治5年(1872年)までは豊日別国魂(とよひわけくにたま)神社と呼ばれていました。
創祀の場所は、現在の中津城址のあるあたり(丸山と称した所)で、後醍醐天皇の御代、建武元年(1334年)までその地にあり、同年に海岸に面した現社地に遷宮しました。
「闇無浜神社由緒と歴史」によりますと、重松家の初祖、中津彦雄が崇神天皇の御時に、同僕24名を従えて日向国から豊前国中津に移住し、豊日別国魂神の示現を得て、一社を建てて祀ったとあります。
第10代崇神天皇の御代(紀元前97年~紀元前30年)に、豐國(豊前の国、豊後の国)の國魂としてお祀りされました。
第10代崇神天皇の御代(紀元前97年~紀元前30年)にお祀りされました。祓われた穢れを川から海へ持ち出す役目を担うこととされ、大祓詞(おおはらえのことば)のみに登場する謎多き神様です。
第12代景行天皇の御代(74年)にお祀りされました。
第12代景行天皇の御代(82年)にお祀りされました。
災厄を払い除け、生活を守ってくださる神様として、向かって左社殿の祇園八坂社に鎮座しています。鎮祀の時期は不詳ですが、闇無濱の鎮座の社としては最も古いとされています。
第55代文徳天皇の御代、仁寿2年(852年)に、航海や漁業などの神様としてお祀りされました。向かって右社殿の住吉社に鎮座しています。